「情報」ってものすごく価値のあるものですが、
今では、世の中の情報のほとんどは、
ネットなど駆使すれば、ほぼ無料で得ることが可能です。
昔の人は、それこそ明治維新の時なんかは、
知恵とか情報を求めて何日も歩いて人に会いに行っていたわけですから、
それが、簡単に手に入る事ってホントに凄いことだと思う。
だから今って、「めちゃめちゃ価値を生み出す情報」であっても、
簡単に、しかも無料で手に入れることができちゃうのです。
この「情報」って
日本人の「水」に対する感覚に似ているのかもしれない。
水って、めっちゃ価値のあるものだけど
日本だと公園とかで無料で手にはいっちゃうじゃないですか
たまにテレビとかでやっている、
えっ????
蛇口ひねったら水でてくるんすか???
日本ってパラダイスですね!!
みたいなリアクションする外国人とかいるよね
あんな感じ。
だから、情報が無料で手に入る今の状況って
そうではなかった時代からみるとパーーラダイスなわけです。
でも、そうなってくると、「情報」自体にはめちゃめちゃ価値があるのですが、
公園の水にお金を払うことに抵抗があるように、
情報のためだけに、お金を払うってことには抵抗を感じる人も多くなるのです。
だから、
昔は「情報」を求めていたけど、
今は情報じゃなくて「体験」を求めているのです。
高額のフットネスが流行るのもそんな感じだ。
あれ、数十万円とかしちゃうんだけど、
あのフィットネスのエクササイズの方法や食事療法などって
ネットで調べればやり方は無料で手に入るのです。
でも、あれだけ流行るってことは、
みんな「方法」が知りたいんじゃなくて
「体験したい」のだと思うのです。
痩せる方法を知りたいんじゃなくて
痩せたいんです。
お金を稼ぐ方法を知りたいんじゃなくて
お金を稼ぎたいんです。
自分らしく生きる方法を知りたいんじゃなくて
自分らしく生きたいんです。
だから、昔の人が「情報」を貪欲に求めていたように、
今は「体験」を貪欲に求めている。
まあ、簡単にいうと、
体験が伴えば「お金払いたい!」ってなりやすいってことです。
逆に、情報を伝えるだけ、だとお金になりにくいってことです。
で、自分が「体験」することに必要なのって「行動」なのです。
で、その「行動」に必要なのって「決断」なのです。
で、その「決断」に必要なのって「環境」なのです。
自分は大丈夫だ。って安心させてくれる環境
お前は出来るよ。って信じてもらえる環境
自分が自分として安心していられる環境。
それは、家族でも友人関係でも仕事場でも
なんでもいいのです。
あなたがあなたらしく受け入れてもらえる環境。
親からずっと信頼されて、受け入れられて生きてきた人は
自信をもって決断できる傾向にあると聞いたことがあるが、
人は安心できる環境、コミュニティーがあると
自分軸からの決断がやりやすくなるのです。
「自分が心地よい環境」に意識的に身を置くって
とーーっっっても大事なことなのである。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
「経理のけいちゃん」HPです。
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