「自分が幸せになる許可」を自分に出してあげて欲しいのです。
私たちがオギャーと生まれてから今この瞬間まで、
資本主義が生み出したマーケティングに常にさらされているものです。
街を歩いていても
テレビを見ていても
スマホを見ていても
電車に乗ってても
学校で勉強していても、
「幸せの形」というものを知らず知らずのうちに刷り込まれていて、
「この状態になれば幸せなんですよ」
というフレームみたいなものを決められているんですよね。
そして、自分がたまたまその形に自分がハマっていれば、
「自分は幸せなんだろう♪(知らんけども)」という状態になっていて、
そして、自分がたまたまその形にハマっていなければ
「自分はダメでクズでカスだ(マジで)」という状態になっているのです。
そしてこの「決められた幸せの形」には「ちょっと足りない」と思わせられるようにマーケティングされているので、
そうすることによって多くの人は「自分は足りない」と感じるようになっています。
その欠乏感を埋め合わせるために経済活動とかが活発になるわけですが、
「いや、、そもそも全ての人が同じ幸せを目指すのもうやめん?」
って人も感じている人も増えているのも事実だと思うのです。
勝手に誰かが決めた幸せ像にハマらなくても、
自分が幸せだったらいいんじゃねーの?
と、感じてそう生きる人もいるのだと思います。
そうした人たちは、幸せ像にハマっている人から見ると
落ちこぼれに見えたり、自分が幸せになれないから逃げているみたいな感じに見えたとしても
自分のためにリーダーシップを取って生きようとしている人なのかもしれないですよね。
自由な時代が到来だと聞くと気楽に感じる人もいるかもしれませんが、
自由には責任がついてまわります。
ある種、
今まで勝手に幸せ像を決めてもらっていたおかげで、
自分の幸せに向き合わなくてもよかったわけですからね。
自分に本気で向き合わなくても、
「いい感じに誤魔化してくれるもの」が世の中には溢れているわけですからね。
望んでもいないことを望んでいるかのように錯覚させられて、
色々買ったり、色々会ったり、色々行ったり、
そんなことに人生のほとんどを費やしていることが多いわけですけど、
それはそれで楽なんですよね。
自分で何も考えなくていいからね。
ただ、それが段々とアホらしく感じてきた人もきっといることでしょうから、
自分の理想だったり、
自分の最高の未来を社会に合わせなくていいのですよ。
というか、それは自分で決めないと苦しくなっちゃいますからね。
甘えてないで、自分の幸せは自分で決めないと。
そうしないと生きづらくなる時代なんだと思いますよ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「経理のけいちゃん」HPです。
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